ADHDのおっさんの挑戦状

最近ADHDが発覚したおっさんの話

おっさんのADHDに向く仕事はあるのか?

いつもメインはWordPressで書いているためにはてなブログに結構戸惑っています。AdSenseの審査ははてなブログも通過しているのでぼちぼち貼ろうかと思ってるんですがこれショートコードなさそうなんすね。

 

あとこれHTML編集で見ると改行にPタグがついてますが仕様なんでしょうか?

 

 

さて私がADHDの疑いであるところから始まった新生はてなブログですが、実はまだ落語で言う枕、月九で言うと2人は初回すれ違った辺りです。

 

 

まあゆっくりお付き合い下さいませ。

 

 

 

 

 

私がADHDを自覚した仕事

 

 

若かりし頃っていうか高校生の頃って原チャや免許が欲しかったり、昼間は銀のシートで覆われてて夜自販機の灯りで商品が見える自販機の製品が欲しくてバイトしたりするじゃないですか?

 

10代の頃って対して気にならなかったのは若さや勢いがあってそこでなんかミスや物覚えの悪さっていうのは淘汰されたりするもんです。

 

20代後半の頃ポケットピカチュウって言う万歩計なんですが、小さな液晶に粗々なドットのピカチュウが居て歩数に応じてピカチュウのしぐさが増えるとかなんとかみたいなおもちゃなんですが、当時おっさんは工場のプレス工のバイトをしていて、その工場ではプレス機側面にリャン面テープでポケットピカチュウを貼っつけて歩数を増やすのが流行ってました。

 

 

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遊び成分を含有する行為ですが早くしぐさを増やしたいから生産性はアップするので黙認されていました。

 

そこで私もポケットピカチュウをプレス機に貼っつけてみたんですが、気になって数プレスしてはポケットピカチュウを確認しにいき咎められてからも気になって1人生産性ダウンし最後には解雇の話まで出てまさにセルフ経済制裁でした。

 

 

このようにADHDの片鱗を見せては居たのですがスタンドアローンで出来るティッシュ配りやそれに纏わる人間関係形成で独立してしまったので片鱗のままでしたね。

 

 

 

事業主や経営者には多いADHD

 

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なぜADHDながらも経営し続けられたかと言うと実は経営者にADHDは凄く多いっていうかほとんどそうじゃないですかね。ワンマンに出来る社内唯一のポジションですし。

 

落ち着きなく指示をだしていうことがコロコロ変わるみたいな。参謀次第で大企業も狙えるっていうか社員気質じゃまず経営なんて無理ですが。

 

 

 

 

 

自分の無能さにもう取り返しがつかないと夜中に咽び泣く

 

 

しかしワンマンだろうが人脈があろうがこの不況には勝てず現在個人事業は廃業の後に新規申請して開店休業ですがここから苦悩が続きます。

 

昨年1年行ってた派遣のクリーン工場の案件はとにかく辞めるとか休むなんて考える余裕がなくてミスしてたまに怒られるのを記憶はしていますが、明日どうなるか分からない生活に忙殺されていただけでミスの数等はかなり多かったと思います。それでも遅刻、早退、当欠がないから会社で重宝されていましたし、当時の生活からはいいように使われるのは渡りに船でした。

 

 

そこを辞めて次は同じような内容のPC組み立ての工場に行きましたがここは勝手が違った。ADHDは基本的に教えられると聞いてないので不安なことはなんど聞いても怒らず答えてくれる人が入ればそこそこミスは減ります。

 

しかし新しいところは指示書というファイルに従って作業するのですがその写真と今目の前にある製品が合っているか不安で仕方ない。

 

迷った挙句ミスる。ミスを指導されると次にやる時はその指導された事がワンイシューになって違うところミスる。で結局数回目には最初ののミスをミスる…。で地獄でした。

 

 

そこはまあ私が居ない方がお互いだろうという判断で辞めました。

 

 

その後は爺さん、婆さん相手の窓口で基本的にミスっても売上とかに影響しないので気楽にできてましたが好事魔多し

 

 

萬田銀次郎に指さし警告されそうな言葉ですが僅か2ヶ月でなんと派遣先と派遣元の契約が終わってしまったのです。

 

 

 

 

 

絶望を感じてADHDを知る

 

 

事前と言っても1ヶ月前に契約が終わる報告があって求職してたらなんとか間髪開けずに次の仕事が見つかりました。

 

そこはヘルニア持ちの私には夢の様な事務職で座れるってことのみで選びましたが…。

 

簡単なデータ入力がを何度もミスる。シュレッダーにかける資料の入れ方が毎回違う、資料折が斜めって折れてるを1週間で50回近く繰り返し最後に

 

三種類の用紙を右から上で順番に重ねて三つ折して封書に入れるという作業を別室で与えられたのですがなんとそれすらたった100通作るのに15回ほど、しかもミスが重複していました。

 

 

さすがに居辛くなってそこもすぐ辞めてついに通院を決めたのです。

 

 この頃には自発的にネットでのADHD判定みたいなのをして意識はしていました。

 

 

ところで今回でもカンチーとリカは恋愛に発展するようなとこまで話が進まなかった気がします…。